奥深いラグビーレフリーの魅力について語ってくれたのは、関西ラグビーフッドボール協会で、現役レフリーの指導にあたる戸田京介(とだ・きょうすけ)さん。
戸田さんはラグビー界で知らぬ者はいない"レジェンドレフリー"だ。
2003年から18年間、A級レフリーとして国内最高峰リーグの計137試合を担当。軽妙な"戸田節"で周囲とコミュニケーションを図り、選手も観客もエンジョイできる試合をマネジメントしてきた。
愛知県春日井市出身の53歳。現役レフリーは2021年で第一線を退き、現在は岐阜県立高校の教員として働きながら、関西協会でレフリーコーチも務めている。
ラグビーのレフリーには「ほどよい裁量」がある
レフリーの仕事はどんなものだろうか。一般的には、競技ルールに則った正確な判定を下し、試合の公正さを担保する存在だろう。野球であれば、ストライクゾーンの枠内に球が入れば「ストライク」、球が外れれば「ボール」。そこに曖昧さはない。
ただ、ラグビーのルールは複雑な上、多岐にわたる。ルールブック通りに全ての反則を取ると、頻繁に試合が止まってしまう。そこで、
「レフリーとしては、ボールインプレー・タイム(ボールが動いている攻防の時間)を優先させたいので、あえて笛を吹かないこともあります。ほどよく裁量が預けられているのが、ラグビーのレフリーなんです。ポケットに反則をしまう…なんて表現があるのもラグビー独特かもしれません」
頻繁に反則を取れば、ラグビーのエンターテインメント性は失われ、退屈な試合になる。チームや選手の能力も引き出せない。
起きた反則全てに笛を吹く厳格さは、ラグビーレフリーには必ずしも必要ではないという。
「最近はラグビーがよりシステマチックになりレフリングのガイドライン通りに吹くことが求められていますが、選手の良いプレーを引き出して、試合をプロモーションしていくのもラグビーレフリーの仕事だと思います。これはノスタルジックな意見なのかもしれませんがね…」
ある強気なSHとの忘れられない会話
選手の良いプレーを引き出す。
経験豊富な戸田さんには忘れられない記憶がある。
「僕も若かりし頃です。たとえば、トップリーグ時代、東芝(現東芝ブレイブルーパス東京)に藤井淳くんというスクラムハーフがいました。基本的にスクラムハーフはみんな気が強く、彼も同様に攻撃的な選手でした。藤井くんがある時、『僕の今のプレーはルール上良かったですよね?』とか『今のポジショニングは大丈夫でしたよね?』と肯定的(ポジティブ)な表現で僕に聞いてきたんですね」
「当時はレフリーと選手が敵対的になりがちでした。選手は挑戦的でかつ否定的な表現を使うことが一般的でした。どうして相手の反則を取ってくれないんですか! どこまでならOKなんですか! …そんな時代だったからこそ、本当にビックリしましたね。そこで僕は『君のプレーはまったく問題ないよ、そのコミュニケーションの仕方は、レフリーにはとても嬉しいよ…』と答えました。そうすると、藤井くんもその試合でノってきた。良いコミュニケーションが選手の良いプレー、良いゲームを引き出せた経験でしたね」
では試合中、ラグビーレフリーはどんな視点でピッチに立っているのだろうか。
「物理的な視点でいうと、2つのカメラを持っている…と考えると分かりやすいかもしれません。一台は実際に見えている範囲のカメラを、もう一台はバードビューのように俯瞰するカメラを、です」
「また精神的な視点でいえば、選手と共にこのゲームを良くしよう、エンターテインメントとして選手も観客も楽しませてやろう…という心構えです。もちろんレフリーもエンジョイしようとしていましたよ。ガイドラインから外れないように、という意識はまったくなかったと言えばウソになりますが、希薄でしたね」
ラグビーレフリーは、ルールブックの化身としてそこにいるデジタルな存在ではないようだ。人間であり、アナログな、選手と共にその日の試合を作る仲間なのだろう。
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反則が起きた次のスクラム、どんな工夫をしているか
そんなラグビーの主要な人物であるラグビーレフリーを、ファン目線で楽しむ方法はあるのだろうか。
戸田さんに観戦の際「ラグビーレフリーのココに注目」、というポイントを訊いてみた。
「ぜひ、反則の後にレフリーがどう工夫したのか、マネジメントの変化を見てほしいですね。いわゆる、"使用前・使用後(反則前・反則後)の相違"です」
「スクラムのコラプシング(スクラムを崩す反則)を例に説明しましょう。レフリーは、同じ反則を繰り返してほしくないので、選手に求めるプレーを具体的かつ端的に説明します。時には高圧的に、時には優しく…。レフリーの逆側で反則が起きた場合には、反対側に回って直視できるようにポジショニングを変えます。そうしたレフリーの言葉や動きに変化があるのは、スクラムでもラインアウトでも『反則の後』です。ぜひ反則を未然に防ぐためにどんなポジショニング、声掛け、工夫をしているのかに注目してほしいですね」
知識はもちろんアスリート能力、コミュニケーション能力も必要なラグビーレフリー。しかし高給取りではない。トップリーグ(現リーグワンの前身)時代、レフリーの日当は5000円、アシスタントレフリーは3000円(交通費や宿泊費は除く)だったという。
戸田さんはコンディション維持のために鍼灸に通っていたそうだが「1回3000円の針を3回打ったらもう9000円ですよ(笑)」。つまりレフリーを担当すればするほど損だった。それでも、戸田さんはトップリーグでは18年間、全国各地で笛を吹いてきたのだ。
サッカーでも、学校でも。とにかく伝え続ける
そんなラグビー愛に溢れた戸田さんだが、実は現在、サッカーのレフリーをすることもある。
勤務先の高校で、サッカー部の顧問をしているためだ。有資格者として公式戦の1、2回戦でも笛を吹く。ラグビーではレフリーの判定は尊重されるが、もちろん競技が変われば、文化も変わる。
「ラグビー時代と同じように、サッカーの試合でも『こういう反則で、僕としてはこういう思いで吹いた』と伝えてはいるんです。しかし逆にまた(文句を)言われたりして。そこは文化の違いですね」
ラグビーレフリーの仕事は、戸田さんの現在の仕事に大いに役立っているという。
戸田さんは現在、勤務先の県立高校で、主に生徒指導のリーダー(主事)に従事する。
「学校の番犬ですね。でもキャンキャン吠える指導はしていませんよ」
屈強なラグビー選手たちと対峙してきた名物レフリーは、どんな心構えで、生徒指導という難題に取り組んでいるのだろうか。
「(指導は)基本的には『正しいこと』『いけないことはいけない』という"是々非々"を諦めずに本気で伝え続ける、ということですね」
「また、これはラグビーで経験を積んで学んだことですが、一回で解決しようと思わないようにしています。親御さんに対しても、たった一回の電話、家庭訪問で解決にもっていかないこと。話を重ねながら解決する姿勢は大事にしていますね」
本気で良いところを見つけ、本気で褒める
保護者との関係においても、心掛けていることがある。
「保護者の立場からすると、誰でも学校から電話がきたら身構えますよね。それはトラブルの時だけ親御さんに電話しているからだと思うんです」
「トラブルの時だけ電話するのではなくて、僕は学校でお子さんが良い事をした時も電話で伝えるようにしています。テクニックとしてやりたくないので、本気で『良い事をした』と思ったら、その場ですぐに電話するんです」
「レフリーもそうですね。反則だけを吹くのではなくて、良いプレーがあった時は『ありがとうね』『サンキュー』と選手に伝える。選手も、子どもも、本気で良いところを見つけてあげて、本気で褒める。そういう営みを続けていくことが解決に繋がると思っています」
前向きなコミュニケーションで、良好な関係を築き、共に問題を解決に導いていく。取材を通してあらためて教えてくれたラグビーレフリーの価値である。 そしてその経験を還元すべく、戸田さんは今日も生徒指導、レフリーの後進指導にあたっている。
取材・文:多羅正崇(スポーツライター)