歴史を読む

1924年を最後にオリンピックから「15人制ラグビー」が姿を消した理由

1924年を最後にオリンピックから「15人制ラグビー」が姿を消した理由

オリンピックラグビーにまつわる小ネタです。永くオリンピックではラグビーという競技が除外されていた歴史がある。ようやく2016年のリオ五輪から「7人制ラグビー」が採用、今年(2024年)のパリ五輪はまだ3大会目ということになる。

しかし歴史を遡ると「15人制ラグビー」が1900年から1924年までオリンピックの正式競技だった過去があった。その経緯と、1924年以降姿を消してしまった理由についてまとめてみよう。

1900年のパリ五輪から正式競技に

男子15人制ラグビーは1900年のパリ五輪から正式競技として採用されている。

▲「近代オリンピックの父」クーベルタン

これには、国際オリンピック委員会会長だったピエール・ド・クーベルタンの存在が大きかったようだ。クーベルタンは「近代オリンピックの父」と呼ばれ、世界史の教科書にもその名が登場する重要人物だ。じつはラグビーとの関わりも深くレフリーとしても活動していたとか。

この1900年のパリ大会では、フランス、ドイツ、グレート・ブリテン、NOCsの4チームが参加し、フランスが金メダルを獲得している。

その後1908年のロンドン、1920年のアントワープ、1924年のパリと計4大会でラグビーが正式競技として行われていた。ちなみに金メダルの最多はアメリカで、2大会で金メダルを獲得している。

「15人制ラグビー」が姿を消した理由

しかし、1924年を最後にオリンピックからラグビーは姿を消してしまうことになってしまうのだ。どういった理由があったのだろうか。

  • 1924年のパリ大会で観客がゲーム中に乱入し、ラグビーのイメージダウンにつながった
  • 参加チームの確保が難しかった
  • 大会側として個人競技と女子競技を充実させていきたい意向があった

といった要因がWikipediaでは言及されています。

さらにキーマンだったクーベルタンが以降、オリンピック運動の中心から外れラグビーは支持者を失ってしうことになる。そしてIOCは1928年のアムステルダム五輪でのラグビー競技の採用を拒否、現在に至る。

オススメ記事

1

冬の花園、過去5大会で3度の全国優勝。高校ラグビー界で"東のヨコヅナ"という異名を持つ東日本屈指の強豪校、桐蔭学園の勢いが止まらない。「名将論。」第2回のゲストは、コーチ時代も含め約30年に渡って同校 ...

2

リーグワンDIVISION1~3全チームの新加入・退団選手をまとめている。 新加入選手、退団選手ともに2024年中にリリースがあった選手名を記載している。2024-25シーズンからの新規参入チーム、ル ...

3

オリンピックラグビーにまつわる小ネタです。永くオリンピックではラグビーという競技が除外されていた歴史がある。ようやく2016年のリオ五輪から「7人制ラグビー」が採用、今年(2024年)のパリ五輪はまだ ...

-歴史を読む
-,

リードラグビー